相変わらず雑記

最近はダイエットを中心に書いています

充実感を得れば

先日、人生の師にお会いした。僕が学部生のときに初めて出会って彼のゼミに潜り込み、大学院生のときには彼の会社でインターンシップをさせてもらった。今も時々会社に顔を出しては、色々とアドバイスをいただいている。3年半ぐらいお世話になっているのだ。

彼は、60歳を超えている。にもかかわらず、バリバリ働いている。おそらく、僕が今まで見てきた仕事人の中で、一番働いているのではないかと言うぐらい働いている。自分の専門分野だけではなく、常に新しい分野を開拓していく姿勢はすごい。一例を挙げると、全く自分の専門分野とは違うのに、シリコンバレーベンチャーキャピタルの共同代表をされたりしている。リタイヤしないで、あのモチベーションを保ち続けて仕事をされているのは、すごい*1なあと思っていた。なので、先日なぜそのモチベーションをずっと保ち続けられるのか聞いてみた。

彼の答えは、短くすると「人生は有限なのだから、常に充実感を得ていないともったいない」ということだ。一見、普通なようだが、彼が発言するとまるで重みが違うように聞こえる。

充実感は人によって違う。いや、当たり前のことだけれども充実感だけでなく、全ての感情はそれぞれ人によって異なる。感じ方も異なる。僕が師と同じ立場だとしたら、仕事全体ではなく、自分の持っている知識や経験と引き換えに様々な人との出会いに特に充実感を感じると思う。

充実感を得るためのいくつかの手段の一つは、自分が好きなことだったり、得意なことをすることであると思う。そして、それは人それぞれ違う。

梅田さんは色んなところで「好きなことを貫け」と発信し、「ウェブ時代をゆく」において、その言葉に「勤勉の継続」という言葉を上からかけたが、これらの言葉を取っても、人によって感じ方や考え方は違う。例えば、小野さんが「現代という時代において、遊び人が賢者になるための道」のエントリで、「勤勉さ」について疑問を投げかけている。また、分裂勘違い君劇場のfromdusktildawnさんは、『「好きを貫く」よりも、もっと気分よく生きる方法』で、「現在(いま)」の好きを「貫く」というところに対して、全く違う考えを書いている。

これらの考え方は、個々人が行動し、考え、自分に合ったのを出したものであって、それぞれがそれぞれに充実していると思う*2。他人から見たら無駄かもしれないけれども、僕は休みの日にWoWをやって、その日を決して無駄に過ごしたとか、もったいないことをしたとかは思わない。むしろ充実している。

好きなことの話から少し離れる。「梅田望夫さんが見ている、どこか遠い世界」で「余裕をもって仕事をして、気楽に生きていくという幸せの形がある」と書かれている。これも充実感を得るための一つの方法であると思う。自分たちが食べるものと少し他の食べ物を作って、子供を育て上げることも一つである。一瞬一瞬は、充実していないかもしれないけれども長い目で見れば、充実していることもある。

結論としては、自分が何に充実感を得て、何に喜びを感じるのかを知っていれば、人生を楽しく生きられるのは間違いなさそうであるということを、師の発言から学んだ。

♪Don't Know Why♪
Norah Jones

Come Away With Me
Come Away With Me

*1:ボキャが少なくてすいません

*2:ちなみに僕は「全てに同意!。」状態で、全く自分の考えが出来ていないなあとつくづく自分の駄目さを思い知ったのである