相変わらず雑記

最近はダイエットを中心に書いています

先を指すライン

僕は小さい頃、迷路が好きだった。迷路といっても、遊園地にあるような迷路でも、後楽園にあったミラーハウスのようなものでない。紙に書かれた迷路である。

小さい頃の僕はかなりの迷路通で、暇さえあればひたすら書いていた覚えがある。迷路を書くのはきわめて簡単。分かれ道をただただ作り続ければよいだけである。こうして迷路を作っては、周りの大人にやらせていた。僕はかなり細かく書く子供だったので、体も元々小さい上にさらに細かく書くもんだから、周りの大人はさぞかし迷惑だっただろう。

人が作ったのをやるのも得意だった。まずゴールを見る。一番簡単な方法は、ゴールからスタートまで辿ることだ。これだと、簡単すぎてつまらないので、ゴールを見据えて先を読んで突き進む。どんなにでかくても、どんなに細かくても先が見えた。

現在。今のところ自分がゴールと見据えている地点はある。しかし、まだまだ曖昧であるがゆえ、色々と模索している状態だ。子供の頃迷路で見いだしたような、先を指すラインが見えない状態だ。最終的にやりたい、やろう(もうこれは予定として入れている)と思っていることはたくさんあるのだけれど、どれも壮大であるため、こちらもラインが見えない。とりあえず、現在ゴールとしているところにたどり着くことが出来たら、何か見えるのだろうか。

ゴールを設定することは、一見合理的に見えるかもしれないけれど、難しいなと思う。なぜなら、ゴールを達成した後、どうするのですか?という問いだ。もちろん、人生はRPGとは違う。(特に初期型の)RPGはラスボスがいて、それを最終的に倒すことが目的だ。そして、それを倒してしまうと目的がなくなってしまう。人生はRPGとは違って、ゴールにたどり着くと、新たな道が見えることがある。ただ、必ずしも新たな道が限らない。

RPGに関しても90年代のゲームシーンでは、かなり難しいステージをラスボスの後にプレイするものとして、用意したゲームも多数あった。また、ゲーム雑誌がやり込み企画や大会とかそういったものを用意する場合もあった。ただ、そんなことをしなくても、新たな道を勝手に作って行く人たちもいた。幼なじみにゲームを貸したら、その幼なじみは全てのキャラのレベルをMAXにして返してきた。ラスボスは簡単に倒せるのだけれど、それじゃあつまらないということで全てのキャラのレベルをMAXにしていた。それが終わったら、今度はレアなアイテムをとりに行こうとか、勝手に道を作っていたのだ。

と、ここまで書いてきたけれど、かなり話があっちこっちに行ってしまってこんがらがってきたので、また改めてまとめることにする。