相変わらず雑記

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グローバル化と開発独裁について

昨日、今日の日経の記事に「きしむ世界」というシリーズでグローバル化開発独裁について書いた記事があった。下までありそうなので、おそらく明日も出るかな。

グローバル化の記事では、新興国が閉鎖性を維持しながら拡大しているけれど、先進国はこれらの経済力の拡大により、強い発言を控えているとある。

そして、開発独裁について書いた記事は、自由より成長を求めて、民主主義よりも独裁を好むと書いてある。

このシリーズサブテーマとして、「市場と民主主義」の試練とあるので、要するに市場の開放と民主主義の進展を訴えた結果、違った方向に行ってしまったよということを言いたいのである。そして、特に市場の開放は進んだのだけれど、民主主義の進展が追いついてないよねと主張している。

でも、考えてみよう。日本も他のアジア諸国も実は、こういった現象に対して一部経験したりしてきた。

日本の例で言えば、民主主義は根付いたのだけれど、戦後長らく閉鎖的な国内市場を持ち、輸出をガンガンやって外貨を稼ぎ、経済発展をしてきた。そして、これはこの記事で書いてある新興国の閉鎖性と重なる。もちろん、今の状況と昔日本が経験していた状況とは違って、当時は日本が単独であったが、現在は経済力が拡大し閉鎖的な新興国と呼ばれる国が多い。この状況は、これらの国が団結すれば、先進国さえも動かしてしまえる力を蓄えつつある。そのため、記事のように強い発言を控えてしまっているのだろう。それでも、こういった閉鎖性は今の日本の状況を見ていてもわかるが、どこかで問題が発生する可能性がある。

開発独裁については、最初はいいかもしれないが、ドンドコ軋みが出てくる。インドネシアやタイ、昔開発独裁と呼ばれた国で、やはり政権が変わっていることからもわかる。確かに、現在のロシアのように、アジアの開発独裁とは圧倒的に違う経済力を持った国が、そういう状況になっているので、世界に対するインパクトは計り知れないものがあるが、これが続くようであると必ず軋むわけだ。

これが怖いのは、今の状況が永遠に続くことよりも、突然崩壊してしまうことである。しかも、崩壊してしまう可能性が高い。その時の世界経済に対するインパクトはとんでもないものになる。もちろん、いい方向に進むなら問題はないけれど、それは正直なかなか望めないのでは。

日本や他のアジアが経験したことをうまく活かして、うまいぐらいに進んでくれる方法を考えなければならないのではないかと思う。